職員採用 能登半島地震 モックルMaaS ご遺族サポート窓口が予約制に ふるさと納税 内部統制
本文
新型コロナウイルス感染拡大を受けて、図書館では、従来は対面で行っていた歴史講座をご自宅でもご覧いただけるように市公式YouTubeを通じて配信することとしました。
かつて、現在の河内長野市域には仲哀天皇陵といわれる地がありました。この講座では、地域に残る様々な資料などから、それはどの辺りのことなのか、またどうして今は仲哀天皇陵ではないないのか、などということを、お話します。
野作町南の信号の近くに、一本の石柱が建っています。これは江戸時代に建てられたものなのですが、その表面に書かれている文字の意味する事について、時々お問合せをいただきます。ここには、どのようなことが書かれているのでしょうか? また、この石柱は何なのでしょうか? これらのことについてお話します。
かつて、この道標の西には、どのような景色が見えたのでしょうか。図書館で所蔵する江戸時代に刊行された本の記述より、そこに見られた景色などについてお話します。
上原地区に残されていた古文書資料より、この地が江戸時代初期に仲哀天皇陵とされ、地域の人々に大切にされていたこと、また江戸時代の後期の調査でその地がどう判断され、明治時代になってどうなったのか、などをお話しします。
鎌田 和栄(図書館郷土資料担当、認証アーキビスト)
山﨑 和子(ふるさと歴史学習館)
野作町所在道標(石造/安政3年(1856)) 一点
『河内名所図会』(享和元年(1801))、図書館所蔵
『河内鑑名所記(写本)』(延宝7年(1679))、図書館所蔵)
『西国三十三所名所図会』(嘉永元年(1848)
〔西山神社境内図〕(彩色/明治6年(1873)7月、上原村公(区)有文書より)
〔西山神社境内図〕(明治7年(1874)4月、上原村公(区)有文書より)
〔西山神社旧地境内図〕(明治9年(1876)9月、上原村公(区)有文書より)
上原村公(区)有文書より、陵墓見分(注1)・調査・現状などに関する資料
ほか。
(注1)陵墓見分が墓見分となっておりましたので訂正しました。
再生リストから、YouTube歴史講座全編の一覧をご覧いただけます。
https://youtube.com/playlist?list=PLhjzg5XqxR7uCYrOvERIya3iWIeS6EQ4d<外部リンク>