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本文
展示の資料は、江戸時代に書かれた、雨乞い(あまごい・あめごい)(注1)と雨悦び(あめよろこび・あまよろこび)(注1)に関する文書です。
当時は大部分の人が農業に従事していましたので、農作物の出来に影響を与える天候不順(干ばつや大雨・大風ほか)は大問題でした。夏季に雨が降らない日(日照り)が長く続くと、人々はそれぞれの村の神社やお寺などで、雨を降らせてくださるように祈る「雨乞い」を行いました。
雨乞いの結果、雨が降ると、今度は「雨悦び」として村中が仕事を休み、雨を降らせてくださった神様や仏様に供え物をしてお参りし、感謝をするという行事が行われていました。また、このほか後日に踊りを奉納する場合もありました。
(注1)「あま~・あめ~」どちらも言う。
令和3年12月14日(火曜日)から12月28日(火曜日)
図書館2階(図書館内エレベーター前)
雨乞いの結果雨が降ったということで、この年の7月16日に雨悦びの行事をしました。この時、御神酒(おみき)とお供物(くもつ)をそなえ、神主さんに御茶代(おちゃだい)を差し上げたことについて、その費用と村内各戸ごとの負担金の計算などが記されています。
(形態)横帳
この年は、7月2日から毎日村の神社へ御神酒をお供えして祈る雨乞いを続けていました。雨乞いを始めて6日目の7月7日の夜に雨が降り、翌8日は雨悦びということで、御神酒とお供物を供えて神主さんにお茶代も 差し上げました。展示のページには、その時の各々の値段と合計金額(銀15匁)、また村中69軒でその金額を割り、一戸につき23匁分ずつ(困窮者からは半分強の12匁ずつ)の金額を集めたことが記されています。
この時は、日を改めた7月17日に雨悦びおどり(踊り)も奉納されました。その費用の記録が、この次のページに書かれています。
(形態)横帳
年はわかりませんが、雨乞いを行ったところ早速雨が降りました。 それにより狭山藩領の村が助かったということで、お殿様から庄屋の井谷長左衛門へ御酒料として銀2枚が褒美に遣わされた(下される)ことについて知らせる文書です。狭山藩北条氏の家来から出されています。
(形態)折紙
(お詫び)資料3の梶原平右衛門の門が抜けておりましたので修正しました。(令和3年12月25日)