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万年山慈尊院/歴女がゆく~女人高野特別編~

印刷ページ表示 更新日:2021年10月29日更新
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慈尊院

 弘法大師が高野山開創に際し、この地に表玄関として設けた慈尊院。その後、弘法大師の母公が訪ねてきた時に当時の高野山が女人禁制だったためここで暮らされました。以後、女人高野として子授けや安産の寺とされています。 
(右から)慈尊院正門、慈尊院御朱印

 

空海の母が暮らした高野山への玄関口

慈尊院 多宝塔

ご本尊の大日如来が祀られているため「大日塔」とも呼ばれる多宝塔(和歌山県指定文化財)

 

小谷 高野山のふもとにある慈尊院は、空海が高野山を開いたときに表玄関として伽藍を整備したといわれています。

桑山 高野山とともに発展してきたんですね。

小谷 その後は、高野山一山(いっさん)の庶務を司る政所(まんどころ)、高野山へ上る前の宿所(しゅくしょ)、冬には避寒修行の場ともされました。

桑山 平安時代や鎌倉時代に高野山にお参りした皇族や貴族たちも、「政所」慈尊院を経て高野山に参詣していますね。

小谷 町石道(ちょういしみち)もすぐ近くにありますからね。高野山へ上るメインルートのひとつです。

桑山 そういえば、女人高野との関わりについてはどうなんですか?

小谷 空海の母、玉依御前(たまよりごぜん)が高野山内に入れないため、ここに滞在していたといいます。玉依御前が弥勒菩薩(みろくぼさつ)に化身したという伝説から、女人高野と呼ばれるようになったそう。「九度山」の地名も、空海が月に九度、慈尊院の母に会いに行ったという伝説に由来しています。

慈尊院絵馬とご住職安念さん

安産や女性の病気治癒を願って奉納された乳房型絵馬についてご住職の安念さんにお話を伺いました

 

桑山 空海ってお母さん思いだったんですね。今でも、子授けや安産、授乳などを願う女性たちの信仰が厚いです。乳房型絵馬が有名ですよね。

小谷 なお、隣接する丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社は、明治時代以前は慈尊院と一体の存在でした。いずれも世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつです。

慈尊院ゴン
昭和末ごろ、慈尊院に住み着いた白い犬ゴンが毎日高野山への参詣者の道案内をするように。ゴンの死後にその死を悼み境内に石像が建てられました。

 
トリビア2

秘仏、木造弥勒菩薩坐像

慈尊院の本尊。平安時代初期の代表的な仏像で、昭和38年(1963)に国宝に指定されています。空海の母が弥勒菩薩に化身したという信仰があり、弥勒の別名「慈尊」から「慈尊院」と呼ばれるようになったと伝わります。弥勒堂に安置されていますが、秘仏のため21年に1度のみ開扉されます。

 

慈尊院立ち寄りスポット

九度山・真田ミュージアム

平成28年(2016)に開館。九度山で配流(はいる)生活を送った真田昌幸・信繁(幸村)・大助の生涯や暮らしぶりなどを、映像も駆使した展示で紹介しています。


◆歴女がゆく~女人高野特別編~

◆宀一山室生寺(奈良県)

◆天野山金剛寺 (大阪府)        

◆高野山女人堂(和歌山県)

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●「歴女がゆく」とは

 
ナビゲーター紹介 河内長野市教育委員会文化財保護課の二人が女人高野の4つのお寺、天野山金剛寺、宀一山室生寺、万年院慈尊院、高野山女人堂をくわしく解説します。