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大学連携講座―大阪芸術大学編― 「印象派の光と影」 第2回 色彩の音楽家ドビュッシー
皆さん、こんにちは。 くろまろ塾運営ボランティアスタッフの栗栖です。
大阪芸術大学との連携講座2回シリーズ「印象派の光と影」のが、3月23日に市民交流センターで初回の「モネとシスレーに引き続き開催されました。今回が最終回です。今回は、大阪芸術大学「演奏学科」今川裕代准教授による講演を、演奏を交えて楽しむことができました。今川先生は、国際ピアノコンクール等で第1位獲得や最優秀賞受賞など多数の受賞暦があります。また、国内外のオーケストラと共演を重ねるなどで幅広く活躍されています。
◆プロローグ
「ドビュッシーの美学は日本人に受入れやすい。フワッとしていて掴みどころがなく、作曲家の内面が見えない。音で描かれた風景や空間から何を感じるかは、聴き手の想像力に委ねられている」という導入話に続いて、聴講者の期待が高まる中 ピアノ曲『月の光』の演奏 が行われました。
「演奏では、楽譜を通して作曲家の研ぎ澄まされたインスピレーションを探り取ることが肝要・・・」とのコメント。
聴講者は、それぞれにイメージを膨らませていると感じられた。
◆ドビュッシーの年譜
1862年の誕生から55歳で没するまでの生涯について、ヴァトー、ボッティチェリなどのたくさんの絵画や詩人、或いは関連資料などの投影とピアノ演奏を組み合わせて講演が巧みに進められました。
子供時代;内向的な性格で、貧しい家庭のため小学校にも行けなかった。9歳でピアノを習い始め10歳でパリ音楽院に入学。 ピアノの才能は高かったが、決められた音楽の規則に反抗して伸び悩み、ピアニストの道を断念。むしろ、理論や法則にとらわれない自由の中に作曲家としての才能が見出されていった。
形成期(20歳代);1884年カンタータ「放蕩息子」でローマ大賞を受賞。22歳でパリ音楽院を卒業。翌年イタリアに留学。1887年交響組曲「春」が完成。学士院が「芸術作品の真実の最も危険な道である曖昧な印象主義に注意すべき」と批評。
1889年パリ万国博覧会でジャワのガムラン音楽に衝撃を受ける。また、ワーグナーの影響を多分に受けるも、後に極限にまで拡大された調性音楽に限界を感じて批判をするようになった。
確立期(30歳代);1894年新しい音楽様式と評された「牧神の午後への変奏曲」が完成し、自分のジャンルを見つけて作曲家としての地位を確立。女性問題で色々なトラブルを抱えるも、1899年愛称リリーと称する女性と結婚。1901年「ピアノのために」完成。1902年オペラ「ペレアスとメリザンド」初演が大成功。印象派の作曲家として大成していく。
ここで先生は、「印象派の絵画は目に見えるものをそのまま写実的に描く。一方ドビュッシーの曲は、記憶の中に取り込んで心の中で昇華されて出てきたものなので、印象派の絵画とドビュッシーの音楽は短絡的に結びつけられるものでは無い。ドビュッシーが印象派であるという言い方は、あくまで音楽史上の分類として使われるものであると認識している。」と説明された。
円熟期(40歳代);1904年人妻のエンマ夫人と同棲を始め、翌年娘が誕生。1905年ピアノ曲「映像第1集」、交響詩「海」完成。リリーと離婚。1908年エンマと再婚。「子供の領分」完成。
総合期(50歳代);1910年ピアノ曲「前奏曲集第1巻」、1913年「前奏曲集第2巻」完成。ストラヴィンスキーと「春の祭典」を連弾し衝撃を受ける。1914年第一次世界大戦勃発。1915年「12の練習曲集」完成。
1918年直腸癌で死去(55歳7ヵ月)。
◆特徴的な音楽語法など
教会旋法・五音音階・全音音階・並行和音などの音楽語法、個性的な楽譜装丁、指示が細かく一寸した記号も見落とせない楽譜などについて、投影資料とピアノ実演を交えて解説されました。これらは極めて専門的であるため、「筆者が先生の話の中でポイントになるのでは・・・と考えた事柄」のみをいくつか紹介します。
(楽譜装丁の例)
左「子供の領分」、右「海」
●メロディとハーモニーの区別が曖昧になり、モチーフは瞬間的に想起され、変容していく。
●和音をスライドするなどの禁則行為を逆に使って、曲の色彩を強調し、響きの空間を創造している
●1つの空間に過去もあれば現在もある不思議な感覚で五感を音で表現する
●曲のタイトルは自然現象を使ったものが多い。「水に映る影」、「そして月は廃寺に落ちる」など
◆エピローグ
まとめとして次の様な話しが行われました。
「ドビュッシーほど、大胆に革新的に、新しい自分の表現を追求してアカデミックからの脱却を試みた作曲家は他にいない。第二次世界大戦後の音楽界にも強い影響を与えており、近代音楽の扉を開いた偉大な作曲家であると考える。資料に『ドビュッシーの言葉』を記したので是非読んでいただきたい」。
続いて、「水に映る影」、「そして月は廃寺に落ちる」、「金色の魚」、「花火」の5つの曲が演奏されて、これまでとは違った異色の講演が余韻を持って終了しました。
<修了後の運営会議での余話>
・講演参加者は約70名。一般市民、くろまろ塾生、音楽関係者などで、いつもと違う雰囲気
・サイエンスとは異なって、文化やアートに関心がある方も参加して講演や演奏を楽しんでいた
・久し振りに生の演奏を聴くことができたて大変良かった。また、聴きたい
・講演や演奏を聴いて 「ドビュッシーの違い」 がなんとなく分った
筆者は、心理学的立ち位置から 「今川先生はドビュッシーがチャイコフスキーなどのロマン派と異なって、印象派としての新境地を開いて大成していくまでの生涯をナラティヴとして理解することによって、演奏の深化を図って楽しんでおられるのではないか・・・」 と推察しました。
以上となります。「ドビュッシーの言葉」など内容に関心の有る方・資料を見たい方は事務局にお問い合せ下さい。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。