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市指定 大日如来坐像

印刷ページ表示 更新日:2023年7月20日更新
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区分(有形文化財)種別(彫刻)指定番号(彫25)

市指定文化財 木造 大日如来坐像

mokuzou dainichi-nyorai-zazou 像高89.5cm 一躯

所在地 河内長野市天野町
所有者 天野山金剛寺
時代 平安後期
指定年月日 令和4年5月23日

 

01正面 金剛寺木造大日如来(講堂安置)

 

 本像は、金剛寺講堂(修養館)の舞台中央に奥まって安置されている大日如来坐像である。

 大日如来は密教の根本仏で、『華厳経』に説く、宇宙と同体あるいは宇宙の支配者である毘盧遮那如来の思想を密教的に展開したとされる尊格で、『大日経』及び『金剛頂経』の教主である。そして密教の世界観を表した胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の主尊である。

 本像は智拳印を結ぶ金剛界の大日如来である。螺髻を結い、天冠台をあらわして宝冠を着し、上半身に条帛を懸け、下半身に裙・腰布を着けて胸前で智拳印を結び、光背を負って大仏座上に結跏趺坐する。臂釧・腕釧を着ける。

 頭体幹部はヒノキの縦一材から彫成し、螺髻、頬半ばを通る線で前後に割り、内刳りの後、首周りにノミを入れてたち落とす、割矧ぎの技法を用いている。体幹部にヒノキの横一材製の、内刳りを施した両脚部を矧ぎ付け、裙先を寄せる。全体に漆箔を施す。

 少し長めの丸顔に穏やかな表情、やや腰高ながら安定感のある、威圧感のない姿は平安後期の様式を示している。当初の部分の螺髻、天冠台、臂釧も平安後期に例の多いものである。

 技法的にも平安後期~鎌倉前期に多い割矧ぎの法が使用されている。しかし前面材が薄くなりすぎているところから技術的な未熟さが見られ、また内刳りもやや荒く、中央の仏師の作とは思われない。

 以上、作風、技法の検討から、本像は平安時代後期に地方で製作されたと推定される。

 なお、頭部と像底の虫損が著しく、面部や両脚部などに後世の手が加わっているのは残念である。

 山内には他に大日如来像が3軀伝来している。治承2年(1178)建立の金堂本尊像(国宝)、多宝塔本尊像(重要文化財)、五仏堂五智如来の中尊像(同)で、講堂像は国指定を受けているこれらの像に比べて美術的に優れているとは言いがたいが、山内最古の大日如来像であり、再興以前の金剛寺の歴史を考えるうえで重要であるところから、本市の指定文化財とするに相応しい。

 ちなみに、本像の安置されている、昭和16年建立の講堂は、信者の修行のための施設で、この敷地には本寺の塔頭理趣院があった。真言宗の重要経典に理趣経があり、その主要な尊格は大日如来である。したがって、この大日如来坐像は理趣院の本尊の可能性が高い。ただし、理趣院の創建の時期は現在のところ不明である。