ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

府指定 銭弘俶塔

印刷ページ表示 更新日:2019年4月17日更新
<外部リンク>

区分(有形文化財)種別(考古資料)

府指定文化財 銅製 銭弘俶塔

Dousei Senkousyukutou 一基

所在地 河内長野市天野町
所有者 天野山金剛寺
時代 鎌倉 中国-呉
指定年月日 昭和49年3月29日

府指定文化財 銅製 銭弘俶塔の画像

 福岡県誓願寺、京都府金胎寺、和歌山県那智山経塚例などに見られるものである。「河内名所図会」には、天竺阿育王鉄塔と呼び、正和3年(1314)忍実上人が当山の塔の尾にて感得したものと記しており「河州錦部郡天野山金剛寺古記写」にも塔の尾より往昔奉納の品として発見されたものであることを記し、のち慶長11年(1606)の再興まで多宝塔の心柱に収められていたと記している。

 本塔は銅製で総高21cmをはかる中国呉代のものである。蓮華台座と相輪は木製で鎌倉時代に後補されたものである。方形の塔身は四面とも分鋳で、頭頂・四耳もともに分鋳である。四面や四耳には人物群像が陽刻されているが、銅質の粗悪さによる銅錆により全体がただれ明瞭ではない。塔身内壁にはひとつの突起があり、納入経をとめるようはかっている。その壁側の内向かいには、『呉越国王・銭弘俶造・八萬四千宝・塔乙卯歳記』および『同』字の陰刻銘がみられる。誓願寺例や那智経塚例には『化』、金胎寺例には『仁』字が陰刻されているが『同』字も同様の性格をもつものであろう。

 

参考文献:河内長野市役所(1973)『河内長野市史 第十巻 別編二』