本文
府指定 観心寺六棟
区分(有形文化財)種別(建築物)
府指定文化財 観心寺六棟
Kanshinji rokutou
所在地 | 河内長野市寺元 |
---|---|
所有者 | 観心寺 |
時代 | 江戸 |
指定年月日 | 昭和50年3月31日 |
大門(だいもん) | 万治2年 | 一棟 |
---|---|---|
鎮守社拝殿 附 棟札一枚 (ちんじゅしゃはいでん つけたり むなふだいちまい) |
延享元年 | 一棟 |
御影堂(みえどう) | 江戸中期 | 一棟 |
本願堂(ほんがんどう) | 正保3年 | 一棟 |
槙本院中門(まきもといん ちゅうもん) | 寛永ごろ | 一棟 |
槙本院持仏堂(まきもといん じぶつどう) | 寛永19年 | 一棟 |
本願堂
天長4年(827)空海の弟子実恵によって創立された観心寺は、承和初年(834)頃、伽藍としての体裁を整えたようである。元慶7年(833)の「観心寺勘録縁起資材帳」によれば、三間桧皮葺如法堂をはじめ多数の建物が建ち並び、伽藍を構成していたことが知れる。その後退転し、古い伽藍配置はわからなくなり、わずかに現金堂が旧講堂の後身と推定されるにすぎない。
正門である大門を入り参道を一直線に登ると金堂正面にいたる。その東南に建掛塔があり、東方山裾に御影堂や本願堂が点在する。鎮守社およびその拝殿は参道の右手に位置する。また子院についてはその大部分が失われたが、現在寺域西南隅に残る槙本院には、書院をはじめ、中門・庫裡・持仏堂があり、いずれも寛永から正保にわたる17世紀前期の作で揃い、近世初期の子院の姿をほぼ完全に伝えている。
Web観心寺 ~檜尾山観心寺公式サイト~<外部リンク>
参考文献:河内長野市役所(1973)『河内長野市史 第十巻 別編二』
南海・近鉄「河内長野」駅下車、南海バス「観心寺」下車すぐ