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府指定 観心寺六棟

印刷ページ表示 更新日:2019年4月17日更新
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区分(有形文化財)種別(建築物)

府指定文化財 観心寺六棟

Kanshinji rokutou

所在地 河内長野市寺元
所有者 観心寺
時代 江戸
指定年月日 昭和50年3月31日

 

大門(だいもん) 万治2年 一棟
鎮守社拝殿 附 棟札一枚
(ちんじゅしゃはいでん つけたり むなふだいちまい)
延享元年 一棟
御影堂(みえどう) 江戸中期 一棟
本願堂(ほんがんどう) 正保3年 一棟
槙本院中門(まきもといん ちゅうもん) 寛永ごろ 一棟
槙本院持仏堂(まきもといん じぶつどう) 寛永19年 一棟

府指定文化財 観心寺六棟の画像
本願堂

 天長4年(827)空海の弟子実恵によって創立された観心寺は、承和初年(834)頃、伽藍としての体裁を整えたようである。元慶7年(833)の「観心寺勘録縁起資材帳」によれば、三間桧皮葺如法堂をはじめ多数の建物が建ち並び、伽藍を構成していたことが知れる。その後退転し、古い伽藍配置はわからなくなり、わずかに現金堂が旧講堂の後身と推定されるにすぎない。

 正門である大門を入り参道を一直線に登ると金堂正面にいたる。その東南に建掛塔があり、東方山裾に御影堂や本願堂が点在する。鎮守社およびその拝殿は参道の右手に位置する。また子院についてはその大部分が失われたが、現在寺域西南隅に残る槙本院には、書院をはじめ、中門・庫裡・持仏堂があり、いずれも寛永から正保にわたる17世紀前期の作で揃い、近世初期の子院の姿をほぼ完全に伝えている。

 

Web観心寺 ~檜尾山観心寺公式サイト~<外部リンク>

参考文献:河内長野市役所(1973)『河内長野市史 第十巻 別編二』

地図

南海・近鉄「河内長野」駅下車、南海バス「観心寺」下車すぐ