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重文 大日如来坐像

印刷ページ表示 更新日:2019年4月17日更新
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区分(有形文化財)種別(彫刻)

重要文化財 木造 大日如来坐像

mokuzou Dainiti-nyorai-zazou 一躯

所在地 河内長野市日野
所有者 観音寺
時代 平安
指定年月日 昭和43年4月25日

重要文化財 木造 大日如来坐像の画像

 日野観音寺(宗旨は真言宗御室派)の創建に関する詳細は不明ですが、寺の伝えによると天野山金剛寺と同時代に行基(668-749)によって開かれたとされています。
 文献上、寺の存在がさかのぼって確認できるのは、至徳三年(1386)から応永八年(1401)にかけて写経された『大般若波羅蜜多経』(河内長野市指定文化財・600巻中450巻余現存)の奥書があります。
また、江戸時代に書かれた『河内名所図会』(享和元年(1801)刊行)によれば、「古は諸堂巍々たり兵燹の後一堂存す」とすると記し、このことから、かつてはいくつかのお堂などが建ち並んだ伽藍があったことが想像されます。
 さらに近年、市教育委員会が行った発掘調査では、火事によってもたらされたと考えられる焼土層が検出され、この土層からは14世紀代の土器や瓦などが含まれていることから、『河内名所図会』に記された記事との整合が注目されます。
 この度公開することとなった大日如来坐像ですが、寺の名前からすると、かつては観音菩薩が本尊であった可能性がありますが、現在では観音寺の本尊となっています。
 仏教は大きく「顕教」と「密教」の二つに分かれます。前者における信仰対象の中心は釈迦如来ですが、後者におけるその中心は大日如来となっています。
密教では、仏の世界、つまり大日如来の説く覚りへの方法が「曼荼羅」という形で表されます。さらに曼荼羅は、「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」とに分かれて表現されますが、いずれの曼荼羅も中心となる仏は大日如来とされます。ですが、これらはまったく別の存在ではなく、これらが揃って仏の世界を表現するものと考えられています。このことを密教では「金胎不二」といいます。
 また、曼荼羅では仏が手に印を結び、手に持った持物などが、それぞれの仏の持つ徳を象徴的に表現しています。
金剛界の大日如来は、宝冠を被り、両手に智拳印を結び、足は結跏趺坐の形をとっています。このことから、観音寺の大日如来坐像は金剛界のものであることがわかります。
一方の胎蔵界の大日如来は、多くの造形は金剛界のものと共通しますが、両手に法界定印を結ぶ点が異なり、作例としては市内鳩原地区のもの(11世紀頃(平安時代)・市指定文化財)が挙げられます。
 当像の構造は、桧材を用いた寄木造で、像高は147.6cmです。また本像には光背、台座が当初のままであることが特筆されます。光背は二重円光の周囲を火焔が包み、大日如来の荘厳さを強調した手法を用いています。また、台座は七重の蓮華から成る蓮華座でさらにその荘厳さを増しています。
 以上の様式的特徴から本像は、12世紀に製作されたことが考えられ、また市内では最も古い時期の大日如来像といえます。
 また、日野地区にはかつて本尊が阿弥陀如来であった塚堂寺という寺院がありましたが、現在この像は広島県三滝寺にあり重要文化財に指定されています。

参考文献:河内長野市役所(1973)『河内長野市史 第十巻 別編二』

地図

南海・近鉄「河内長野」駅下車、南海バス「日野」下車、西へ徒歩5分