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市指定 毘沙門天立像

印刷ページ表示 更新日:2018年10月11日更新
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区分(有形文化財)種別(彫刻)指定番号(彫24)

市指定文化財 木造 毘沙門天立像

mokuzou bisyamon-ten-ryuuzou 像高97.2cm、光背高130.0cm、台座高45.0cm 一躯

所在地 河内長野市岩瀬
所有者 下岩瀬薬師寺保存会
時代 平安時代
指定年月日 平成25年7月31日

市指定文化財 木造 毘沙門天立像の画像

 薬師寺は、市内南部の岩瀬に所在する密教系寺院であったが、現在は融通念佛宗に改宗している。本像は、不動明王立像(市指定文化財)とともに、岩瀬所在の薬師寺本堂内三間厨子内に薬師如来立像の脇侍として安置されている。
本像は、輪焔光背を背に腰を僅かに左方へ捻り、沓を履いた右足を軽く前に出して邪鬼上に直立し、右手に戟を執り、左手は前方に屈臂し掌を上にして毘沙門天の標識である宝塔を執る。頭部には銅製鍍金(金銅製)の宝冠・冠帯を戴き、地髪はまばら彫り(背面は省略)とし、小振りの単髻を結う。面相は、両眼瞋目し閉口する忿怒相である。体部には甲及び裳を着ける。桧材と推定される一木割矧造で、彫眼で体部を前後に割矧ぎ、内部を内刳る一木割矧造である。また、当初の彩色と華麗な截金や団花文などの文様が残る。光背および台座は江戸時代の後補である。台座は、他の薬師如来立像・不動明王立像・毘沙門天立像の台座と意匠に共通点があるので同時期の制作であろう。
本像は一木造割矧造、彫眼という古様の技法で造られているものの、類いまれな洗練された彫技と華麗な彩色文様に藤原時代王朝美の典型を見る思いである。ただ、衣皺の彫りが少し深く、賑やかになりつつあるため、藤原時代の特色を色濃く残しつつ鎌倉時代新様式の香りがかすかに窺える藤原時代末期~鎌倉時代初期(藤末鎌初)の作品と思われる。
特に、顔の各部位が中央寄りに配されること、様式と技法及び法量に当寺の不動明王立像と共通点が多いため、両像は一具として造立されたと思われ、密教寺院でよく見られる不動明王と毘沙門天を両脇侍とする一例である。既に市指定されている不動明王立像と同様、藤原時代末期~鎌倉時代初期頃の造形的に優れた仏像であるとともに、薬師寺の歴史を考えていくうえで貴重な作品である。なお、下岩瀬薬師寺保存会によって修理が行われ、当初の素晴らしい像容が蘇った。