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市指定 薬師如来立像
区分(有形文化財)種別(彫刻)指定番号(彫22)
市指定文化財 木造 薬師如来立像
mokuzou yakushi-nyorai-ryuuzou 像高102.0cm、光背高150.0cm、台座高50.0cm 一躯
所在地 | 河内長野市岩瀬 |
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所有者 | 下岩瀬薬師寺保存会 |
時代 | 平安時代 |
指定年月日 | 平成25年7月31日 |
薬師寺は、市内南部の岩瀬に所在する密教系寺院であったが、現在は融通念佛宗に改宗している。本像は、本堂内三間厨子内、正面向かって中央一間に本尊として安置されている薬師如来である。現在、本像の脇侍は不動明王立像と毘沙門天立像であるが、文化8年(1811)の「明細帳」では、脇侍が十二神将と記されており、いつの頃からか、現状に変更されたようである。
本像は、舟形の挙身光を背に台座上に直立し、左掌に薬壺を執り、右手は施無畏印を結ぶ。桧材と推定される一木割矧造で、彫眼で体部を前後に割矧ぎ、内部を内刳る一木割矧造である。頭部は螺髪を彫出する。面相は、眉間に白毫を表さず、半眼を見開く慈悲相を表し、耳朶は環状を呈する。体部は、衲衣を偏袒右肩に懸け、右肩に偏衫を着し、腰に裳を着ける。光背および台座は江戸時代の後補である。台座は、他の薬師如来立像・不動明王立像・毘沙門天立像の台座と意匠に共通点があるので同時期の制作であろう。
本像は、一木割矧造、彫眼という古い技法であること、頭・体部に奥行きがある量感豊かな表現と高い肉髻、大粒の螺髪、股間部に見られるY字形衣文に平安前期の古様が見られるものの、肩が撫ぜ肩に、衣文も穏やかになり、総じて和様化が見られるため、様式・技法・法量が同じである当寺釈迦如来立像と同じ10世紀後半から11世紀前半頃(平安中期)の制作と思われる。
なお、下岩瀬薬師寺保存会によって修理が行われ、当初の素晴らしい像容が蘇った。河内長野市内に伝来する数少ない平安中期の美術的に優れた作品であるとともに、薬師寺の歴史を考えていくうえで貴重な仏像である。