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市指定 絹本著色 伝地蔵曼荼羅図

印刷ページ表示 更新日:2018年10月11日更新
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区分(有形文化財)種別(絵画)指定番号(絵11)

市指定文化財 絹本著色 伝地蔵曼荼羅図

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縦145.2cm 横163.9cm 一幅

所在地 河内長野市神ガ丘
所有者 延命寺
時代 李氏朝鮮時代(1591年)
指定年月日 平成18年3月31日

市指定文化財 絹本著色 伝地蔵曼荼羅図の画像

 本品は少し布目の粗い絹地に彩色された軸装の仏画で、よく当初の姿を残している。伝来は、1805年から1837年の間に奈良県桜井市大神神社の神宮寺の大御輪寺から施入されたものである。

 構図は湧雲により上下に分かれ、上段には同寸の3軀の菩薩坐像を並置している。向かって左に地蔵菩薩、向かって右は文殊菩薩、中央の菩薩は尊名不詳である。各尊の周りには各6人の道服を着た供養者が取り囲んでいる。下段は中央に蓮華座に立つ地蔵菩薩を少し大きめに描き、その向かって右側に合掌して立つ僧道を、同左側には合掌して立つ無毒鬼王を描く。そしてその左右に同服を着て冠を被り笏をもって立つ十王を各五王ずつ並置する。

 本品は六朝時代以来、父母への孝養のために遺族が追善の功徳を積む儀式の際に使用したものと思われる。

 最下端中央にある朱地の銘記欄に「李氏朝鮮時代の1591年5月に故人学崇の供養のためにこの曼荼羅図を制作、それには大施主敏孫・施主雲信・供養主釈俊が関与し、画師太英が描いた。」という旨の墨書銘がある。

 本品のように地蔵十王図の上方に三菩薩を描く作品は他に類例がなく、また制作年代と画師の分かる朝鮮仏画の貴重な基準作例である。