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市指定 三日市宿高札
区分(有形文化財)種別(書跡・典籍・古文書)指定番号(書2)
市指定文化財 木製 三日市宿高札
moku-sei mikkaichi-shuku-kousatsu
縦59cm 横238cm,縦50cm 横182cm 二面
所在地 | 河内長野市喜多町 |
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所有者 | 烏帽子形八幡神社 |
時代 | 江戸 |
指定年月日 | 平成5年3月30日 |
本高札は、親子・博奕・忠孝等定高札と人馬賃定高札の二面である。
二枚のいずれも材質が欅(けやき)材であり、形状も横長形の五角形である。また、両面とも正徳元年(一七一一)五月の年号が書かれている。
親子・博奕・忠孝等定高札の内容は当時の道徳倫理が書かれている。
市内で確認されている三十九点の高・制札のうち道徳倫理の内容が書かれているものが六点あるがいずれも簡素なもので、本高札のみが九条にわたって細部に制している。
年代は人馬賃定高札と同じく二番目に古く、大きさは当市最大のものである。
人馬賃定高札は、時の幕府の道中奉行から布告された「三日市宿駅往還御用の定」であり、宿駅での駄賃や人足の持つ荷物の規格、そして宿駅の大名や旅人への対応についての定めが書かれている。
高札は道中奉行が交代するごとに、奉行名を書くところのみ削られ書き換えられたとみえて、板が薄くなっている。この高札が使用された最後の奉行とみられる「大隅、伊勢」の名が残っている。当時、江戸幕府から各街道の駅に布告したものと同一内容のものと思われる。
市内では三十九点の高・制札が確認されているが、人馬賃についてのものは唯一であり、年代は天和二年(一六八二)に次ぐものである。また大きさは二番目に大きなものである。
三日市の宿駅は、高野街道の河内側最後の宿駅であり、また五條から吉野山や大峰山への分岐点でもあったことから旅人で賑わっていたようであり、このような場所に幕府の布告などを知らしめるために高札が掲げられたと考えられる。
人馬賃定高札は、当時の三日市宿が宿場町として繁栄していたことの歴史的傍証資料として、また親子・博奕・忠孝等定高札は当時の社会通念を窺うことのできる貴重な資料である。