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市指定 河州錦部郡西代村絵図

印刷ページ表示 更新日:2018年10月11日更新
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区分(有形文化財)種別(絵画)指定番号(絵3)

市指定文化財 紙本著色 河州錦部郡西代村絵図

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縦93cm 横133cm 一幅

所在地 河内長野市錦町
所有者 個人蔵
時代 江戸
指定年月日 昭和57年3月19日

地図

 この絵図には西代神社・陣屋、村域(西代村領域・古野村・長野村・上原村・惣作村・喜多村・高向村との境)・街道(天野山道・巡礼道)・水路などはもとより村内の家屋敷所有者の名前・敷地の状況・主屋の規模など詳細に彩色絵で記入されている。
 銘文から享保十七年(一七三二)八月に描かれたものであることがわかる。

 この絵図は、庄屋と年寄りが連署して代官に提出したものであり、当時の西代村の状況がひと目で理解できる貴重な資料である。

 絵図に描かれている陣屋は、西代藩第二代藩主・本多伊予守忠統(ただむね)が正徳元年(一七一一)に治所をここに定めて置いたものである。
 面積は反別三町六反三畝二〇歩(約三六四アール)、高二七・三七九五石であった。東西一町二十間、南北二町五十五間の敷地規模をもっていた。

 この陣屋は、忠統が伊勢神戸(かんべ)(三重県鈴鹿市)へ転封まで存続した。その場所は、現在の長野小学校から長野中学校にかけての一帯にわたると考えられる。

参考文献:河内長野市教育委員会(1983)『河内長野の古絵図』