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市指定 加賀田神社本殿
区分(有形文化財)種別(建造物)指定番号(建8)
市指定文化財 加賀田神社 本殿
Kagatajinja-honden 一棟
所在地 | 河内長野市加賀田 |
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所有者 | 加賀田神社 |
時代 | 江戸 |
指定年月日 | 昭和56年3月30日 |
三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、梁間二間、正面三間にわたって一間の総向拝(ごはい)をつけ、屋根は銅板葺としたものである。
正面では浜床を設け、木階五級を据え、擬宝珠(ぎぼし)柱をたて、登高欄(こうらん)で縁に昇る。縁は正・側面三方に榑縁(くれえん)を張り、側面では奥に脇障子をたてる。
向拝柱は面取角柱で、三間にわたり大虹梁(こうりょう)を架して両端を象鼻とし、柱上で連三斗(みつと)組とする他は枠肘木(わくひじき)を組み、中備(なかぞなえ)に蟇股(かえるまた)を配する。
中央の蟇股は、中の彫刻が輪郭からとびだしている。正面では成りの高い大虹梁を渡し実肘木(さねひじき)も一連に通しているので、鈍重な感じが強い。
内部は前後にわけて前面を外陣(げじん)とする。
内外陣境では、上・下長押(なげし)を打ち、三間にわたり板扉を入れるが、内陣(ないじん)は仕切らない。祭神には誉田別尊(ほむだわけのみこと)・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)・息長足媛尊(おきながたらしひめのみこと)を祀る。
本殿の建立年代は擬宝珠銘の元禄十六年(一七〇三)とみるのが様式的にみて妥当のようで、当社に残される承応三年(一六五四)の上葺棟札は現本殿とは無関係である。
『大阪府全志』第四巻によれば元禄年中に堺の谷善右衛門が社殿を修復したとあるが、この擬宝珠銘はそれを示すものとみられる。
元来当社は寺院と深い関係をもち、寺の鎮守のようなものであったと思われる。保存状況はよく、当時の典型例として貴重である。
参考文献:河内長野市役所(1973)『河内長野市史 第十巻 別編二』