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市指定 岩湧寺本堂

印刷ページ表示 更新日:2019年4月17日更新
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区分(有形文化財)種別(建造物)指定番号(建5)

市指定文化財 岩湧寺本堂

Iwawakiji-hondou 一棟

所在地 河内長野市加賀田
所有者 岩湧寺
時代 江戸
指定年月日 昭和51年3月30日

市指定文化財 岩湧寺本堂の画像

 岩湧寺は、現在融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)極楽寺末であるが、往古は天台宗の霊場であったと伝えられる。
 本堂は、正面柱間三間、側面柱間四間の規模で、屋根は宝形造、現在は銅板葺で、正面中央一間に向拝をつけ、周囲に縁をめぐらし、縁柱をたてる。
 当本堂の建立年代は、修行札の古いものに貞享三年(一六八六)のものなどが残されていることと、様式的な点から考えて江戸時代初期と考えられる。

 指定物件ではないが、本堂内陣須弥壇(しゅみだん)上に厨子(ずし)がある。
 この厨子は折衷(せっちゅう)様形式の精緻なものであるが、背面はつくらない。軸部は先端粽(ちまき)付で台輪を据え、頭貫(かしらぬき)を通し、先端を木鼻(きばな)とし、内法長押(うちのりなげし)・縁長押をまわして板扉を開く。拳鼻(こぶしはな)をつけ支輪(しりん)・尾垂木(おだるき)を飾る。実肘木(さねひじき)には絵様をつけない。詰組とし中央にのみ、中備に蟇股(かえるまた)を入れる。

 斗(ときょう)・蟇股の様式から考察すると古式で、室町時代後期のものかと思われる。

参考文献:河内長野市役所(1973)『河内長野市史 第十巻 別編二』