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市指定 木造 登高座

印刷ページ表示 更新日:2019年4月17日更新
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区分(有形文化財)種別(建造物)指定番号(建4)

市指定文化財 木造 登高座

mokuzou Toukouza 高さ252.3cm 二基

所在地 河内長野市天野町
所有者 天野山金剛寺
時代 鎌倉
指定年月日 昭和47年3月27日

市指定文化財 木造 登高座の画像1市指定文化財 木造 登高座の画像2

 現在、金剛寺収蔵庫に安置されている。腰輿(たごし)形式で高い四脚をつけ、前に三段の登高段をつけたものである。

 黒漆塗りで、屋根下の小壁は左右に仕切り、その装飾は横連子(れんじ)、像が置かれる礼盤形式の台座の格狭間装飾は縦連子、登高段の両側は曲線を描いた高欄(こうらん)をつけ、登高座に伝阿観(あかん)上人像と伝阿鑁(あばん)上人像がそれぞれ安置されている(指定外)。この二基の登高座の屋根裏に次の墨書銘がある。

伝阿観像の登高座屋根裏墨書銘
番匠美野則元

伝阿鑁像の登高座屋根裏墨書銘
建長六年甲寅七月十八日
造立畢法橋位阿鑁
番匠美野則元

 この墨書により二基とも建長六年(一二五四)に阿鑁上人が番匠美野則元につくらせたことが判明する。この墨書以外の黒漆などによる塗りおよび他の彩色は後世のものとみられる。
 阿観、阿鑁とみられる両像は、ともに十三世紀の特色をもっているので、学頭五代の阿鑁上人が、旧寺蹟に学問教学の金剛寺を創建した学頭初代阿観上人のために制作した登高座であるか、阿鑁上人入寂後(建長八年:一二五六)、両像がつくられ登高座に安置されたのか不明確であるが、この前後に例をみない貴重な資料といえる。