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市指定 千代田神社神像

印刷ページ表示 更新日:2019年4月17日更新
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区分(有形文化財)種別(彫刻)指定番号(彫9)

市指定文化財 木造 神像

mokuzou shinzou
男神像(完存)像高36cm 男神像(欠損)像高37.6cm 二躯

所在地 河内長野市市町
所有者 千代田神社
時代 平安(完存)/鎌倉(欠損)
指定年月日 昭和45年11月26日

市指定文化財 木造 神像の画像1市指定文化財 木造 神像の画像2

 指定されているのは、二躯の男神像である。
 うち一躯(左側・男神像1)はほぼ完存している。
 檜材を用いた一木造りであるが、拱手(きょうしゅ)して笏(しゃく)を持つ手の部分は別木で彫り出してついでいる。冠の左右耳うしろのところに穴があいているのは、もと冠を結ぶ紐のとめ跡であろうか。鼻は少し横に開いて大きいが、彫りは美しい。
 袍(ほう)をつけてすわるが、その刻み方は極めて単純でシワなどはほとんどない。もとは胡粉(ごふん)を下地にした彩色像であった。今は冠の部分の黒色と袍のところどころに梅花文が残っているだけである。十二世紀の作と考えられる。
 もう一躯(右側・男神像2)の男神像は、顎に髭(ひげ)を有した像で体側は欠損している。両袖から出した拱手する両手は別材でつくり、そこに棒持していた笏もなくなっている。
 もと胡粉地に彩色されていたが剥落してしまっている。十三世紀のものとみられる。
 もともと千代田神社は、天神社、天満宮、菅原神社と呼ばれ、明治四十年(一九〇七)に市村新田の木戸神社と向野の伊予神社とが合祀されたものである。
 したがって先の像は本来菅原神社の主神で、梅花文をつけているのは菅公(菅原道真)として祀られていたからと考えられる。

参考文献:河内長野市役所(1973)『河内長野市史 第十巻 別編二』