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市指定 種字両界曼荼羅図

印刷ページ表示 更新日:2019年4月17日更新
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区分(有形文化財)種別(絵画)指定番号(絵1)

市指定文化財 紙本著色 種字両界曼荼羅図

shihon-tyakusyoku syuji-ryoukai-mandarazu 縦62.5cm 横51.5cm 二幅

所在地 河内長野市松ヶ丘中町
所有者 松林寺
時代 江戸
指定年月日 昭和43年1月8日

金剛界曼荼羅の画像
金剛界曼荼羅

胎蔵界曼荼羅の画像
胎蔵界曼荼羅

 浄厳(じょうごん)(寛永十六年~元禄十五年:一六三九~一七〇二)筆の画である。
 画面を紺色に塗り、その上に種字を金泥(きんでい)で描いたものである。各種字(しゅじ)を細かく見ると一画一画厳格に描くが、職人とちがって図形が変形した箇所もある。しかし全体としてみれば画面としての整いがみられる。
 この画幅には、次のような浄厳自筆の裏書がある。

金剛界曼荼羅裏書

両界曼荼羅二鋪
応于松林菴主慧忍阿遮梨耶
之需貞享五載正月中浣(旬)援筆奉
写四月下旬開光供養焉
里延命密寺
住持比丘浄厳謹書

胎蔵界曼荼羅裏書

両部曼荼羅二鋪
応于河州錦部郡四鉤樟村
松林菴主慧忍阿闍梨耶之
懇請貞享五歳次戊辰孟春(正月)
中澣(旬)揮毫首夏(四月)二十七日開光
供養焉
 同州同郡延命寺主
 (草冠に必)芻浄厳
 欽識

 この裏書から、いずれも松林寺庵主慧忍に請われて、貞享五年(元禄元年・一六八八)の正月中旬に描き始め、四月下旬に開眼供養を行っていることがわかる。

参考文献:河内長野市役所(1973)『河内長野市史 第十巻 別編二』