わがまち文化財探訪52

府指定文化財  石造 五輪塔
わがまち歴史散歩
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所在地 岩瀬621
保持者 下岩瀬薬師寺保存会
指定日 昭和52年3月31日


 南海高野線千早口駅から北に約200m進んだ山の中腹に、融通念仏宗の薬師寺があります。寺は現在、下岩瀬地域の人たちによって保存されています。境内には瓦葺き(もとは茅葺き)の三間四面の本堂があります。

 境内の北側には、高さ106cmの五輪塔があります。この五輪塔には暦応4年(1341)の年号が刻まれており、市内最古のものです。五輪塔の各輪の正面には下から地、水、火、風、空を表す梵字が刻まれています。地輪は方形、水輪は球形に近く、火輪は笠形でゆるやかな反りを持っています。風輪(宝珠を受ける受花)と空輪(一番上の宝珠)は一つの石で作られています。この五輪塔の形式は、全体のバランスから鎌倉時代の影響が残っていると思われます。

 年号が刻まれたのは、ちょうど南北朝時代のころです。暦応の年号は北朝のもので、南朝の年号では興国2年に相当し、後村上天皇が即位してから2年にあたります。五輪塔のある下岩瀬地域は、そのころ観心寺領になっていました。観心寺は南朝に属していたので、五輪塔に年号を刻む場合、南朝の年号を使うと考えるのが普通です。では、どうして北朝の年号を使ったのでしょうか。

 鎌倉時代の記録などによると、高野街道が通る岩瀬地域は平安時代末期から、京都の公家や武士が高野山に向かう途中の休息地として利用されていました。南北朝時代にも、争いとは関係のない多くの人たちが高野山詣でのために往来しました。このような事情から、岩瀬では様々な立場の人たちが薬師寺などの寺院と関係していたと思われ、供養碑である五輪塔の年代も、造立した人の立場に従い刻まれたのではないかと考えられています。

広報「かわちながの」平成18年4月号


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