わがまち文化財探訪38

紙本著色 河州錦部郡市村新田・同小山田村地論絵図
わがまち歴史散歩
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所在地 郷土資料館
所有者 個人蔵
指定日 昭和61年4月12日


絵図まんなかの青く塗られている部分が寺ヶ池。

 この絵図が描かれたのは元禄3年(1690)です。今も水をたたえる寺ヶ池をはじめ、当時の村の様子や道路、水路、溜池など、本市北部の当時の様子が描かれています。
 この絵図をよく見ると、寺ヶ池より北側で赤色に、南側で黄色に塗られている部分があります。実は、この寺ヶ池と地図の色分けには、先人が行なった開拓の物語が秘められているのです。
 時は江戸時代の初め、3代将軍家光のころの話です。上原村(現在の上原町)に中村与次兵衛という庄屋がいました。当時の河内長野は、幕府の領地のほか、大名の領地である膳所・狭山・陶器の各藩領、旗本の甲斐庄氏や三好氏の領地などに分割されていました。与次兵衛が暮らしていた上原村は膳所藩の領地でした。
 与次兵衛は、小山田村と市村の村境にあった小さな池を改修して大きくし、その水を引いて新しく開墾することを思いつきました。そして慶安2年(1649)、膳所藩にそのことを願い出ました。ところが、この池はそれまで小山田村と市村が共同で管理しており、特に小山田村は与次兵衛の膳所藩とは異なる領主によって支配されていました。そこで、与次兵衛は小山田村の庄屋たちと根気強く話し合いを重ね、やっと工事を始めることが出来ました。工事にも様々な困難が伴いましたが、それらを乗り越えて、ようやく広いため池が完成しました。これが現在の寺ヶ池です。
 改修された寺ヶ池のおかげで、開墾した土地に水を引くことが可能になりました。この土地は市村新田と名づけられました。
 冒頭、この絵図は寺ヶ池を境に色分けされていると書きましたが、もともとあった小山田村が黄色に、新しく開墾されて出来た市村新田が赤色に着色されているのです。

広報「かわちながの」平成16年8月号


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