河内長野市民大学  平成27年度第7回くろまろ塾学位授与式
くろまろ塾開校4周年記念特別講演会  『空海と密教美術』
平成27年6月26日(金)10:00〜12:00、「ラブリーホール 小ホール」 にて、
「くろまろ塾学位授与式」ならびに「特別講演会」が開催されました。
くろまろ塾学位授与式
 くろまろ塾校歌が流れた後、市の出席者と来賓の紹介、続いて、 出席された学位認定者一人一人に、加藤副学長から、学位記が授与されました。
学位授与式の写真です
学位授与式
写真は市民博士授与
学位を取得された方々(敬称省略)
〇くろまろ塾市民博士(600単位取得)7名
今井 利子 中島 將光 神橋 壽 田中 美代子 栗原 順一
島 洋子 吉村 光生
〇くろまろ塾市民修士(400単位取得)8名
齋藤 正博 塩田 洋三 上野 美知子 西川 正彦 村上 靖毅
潮見 勲 石黒 信博 澤農 政子
〇くろまろ塾市民学士(200単位取得)5名
田村 栄有 城 涌佑 西田 美恵子 坂本 文俊 北谷 勝次
 学位を取得された皆様、おめでとうございます。 今後、さらなる学びの継続と、地域でのご活躍をお祈りいたします。

くろまろ塾校歌はこちらです
加藤 文子 副学長挨拶
 芝田学長に代わって、加藤が挨拶をさせていただきます。 学位を取得された方々、おめでとうございます。 学位授与式関係者の皆様に御礼を申し上げます。少子高齢化など種々の課題が押し寄せている時代こそ、市民の絆、街づくりへの参加等が大切です。くろまろ塾も4年が経ち、塾生は1,300人、年間の受講者は7,500人、今までの学位授与者は66名にもなります。今後も塾生の皆様がいきいきと学び、街づくりなど各地域でのご活躍を願っています。
西野 修平 大阪府議会議員祝辞
 くろまろ塾が、定着して嬉しく思います。人生を悟ったかのよう見える人から、自分はまだまだだと聞いたことがあります。  学位を授与されました皆様、おめでとうございます。くろまろ塾が多くの市民に愛されている事を嬉しく思っています。人生の大先輩に「悟りの域ですね」と云いますと、「人生は悟りを開くものでなく、学びだよ」と、たしなめられます。  当市には歴史、文化と多くの学ぶべき事があります。塾生の皆様には、塾で学んだ事を次世代に繋げて頂く事をお願いして、挨拶とさせて頂きます。
峯 満寿人 河内長野市議会議長祝辞
 学位授与の20名の皆様、おめでとうございます。当市の高齢化は年内に30%を超える状況にあります。文豪ゲーテの「人間は恋する限り青年であり続ける」という言葉に対して、私は「人間は学びを追い続ける限り青年であり続ける」と、云わせて頂きます。  今日学位を取得された皆様、今日を「新しい学習の日の始まり」と捉え、新たな課題に取り組んでいってください。  また、健康にご留意され、塾で学んだ事をそれぞれの地域で活かされる事を祈っています。
今井 利子さん 塾生代表所感表明
本日、学位を授与されました皆様、おめでとうございます。 学位授与、本当に嬉しく思います。昭和29年に当市に住み始め、市の発展と共に生きてきたように思います。お母さんコーラス、消費者相談、市史編纂、アジアの国々の支援など色々な事に携わって来ました。  これからも「住みよい、笑顔のある、挨拶のある」街づくりに協力出来ればと思います。  我が家は娘夫婦の博士と合わせて3博士となりますが、くろまろ塾の博士は一番値打ちがあると思います。今日はありがとうございました。
 学位授与式と特別講演会の写真です(写真をクリックすると拡大写真が見られます)
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学位授与式開始 くろまろ君も参加だよ 博士学位取得者 修士学位取得者 リポーター仲間 学士学位取得者 会場風景です 副学長挨拶 静さん講演 高野山DVD
特別講演会『空海と密教美術』        講師 : 高野山霊宝館 館長  (しずか) 慈圓(じえん)さん
 今日は「空海と密教美術」と題して、講演させて頂きます。  私は18歳で生まれ故郷の徳島から高野山大学に入学しました。 大学では空海について学びましたが、先ず、「大学で学ぶということとは何か」を教えられました。そして、お大師さんを学ぶとは、お大師さんを批判することだと知りました。お大師さんは多くの文章を残しています。それらの文章を通して、お大師さんを批判することが出来るのです。  しかしながら、いくら批判を続けていても、お大師さんを乗り越えることは出来ないことを学び、現在は私なりにお大師さんに少し近付くことが出来たのかなあと考えたりしています。

 さて、空海(774〜835)は18歳で高級官僚養成のための大学に入学しましたが、まもなくして退学、山を巡る修行を始めました。  当時の大学は儒教が中心でした。24歳にして、「三教指帰」(出家を反対する親族に対する出家宣言の書とされる)を表します。この書籍は現存します。
 そして、31歳の時、唐へ留学します。  この留学は空海の大転機であります。唐では、恵果和尚から密教の教えを伝授されます。  2年間の留学で帰国、「自分は密教を学んだ。書道も学んできた」と、嵯峨天皇に近付きます。当時は漢字の世界であり、漢字を知っている事が最も大切な時代でした。
  • 41歳にして、密教を大成し、のち「真言密教」を宣布します。
  • 43歳にして、高野山を開祖します。
  • 62歳にして、高野山に入定(にゅうじょう)されました。
  •  延喜21年(921)、観賢僧正(かんげん)が上表して、醍醐天皇から弘法大師が下賜されました。
     真言密教で大事なことは「入定信仰」です。済暹僧都(さいせんそうず)(1025〜1115)によって『大師御入定堪決記(かんけつき)』が書かれ、入定説話は大師信仰となり、 定着しました。

     入定信仰とは、弘法大師がいまもなお高野山の奥ノ院の御廟内に生き身のままでおわされていて、56億7000万年後に弥勒菩薩がこの世に出現される時まで、人々を救済続けるという信仰です。  高野山には、「一度参詣高野山、無始の罪障道中滅」(高野秘記)と云う言葉に端的に示されるように、高野山は仏の浄土であり、その地に徒歩で一歩でも参詣するならば、清らかな身になることが出来るという信仰が今でも生き続けています。

     高野山は貴族社会の時代から、鎌倉、室町、豊臣、江戸時代を通じて、中央との関係が深く、多くの宝物が権力者から寄進されました。また、弘法大師が表した膨大な文書も保存されています。  しかしながら、これらの文書の整理は十分でなく、3年前から整理を始めたところです。果たして、何年で終る事かと思っています。

     明治に入ると学侶・行人・聖の三派が廃止され、朱印地も没収され、女人禁制が解かれました。1200ほどの寺は157寺に、経済基盤を全く失いました。  その後、大火事があったりしましたが、現在は国宝23件、重要文化財は183件を有しています。  また、高野山の寺は117寺、内宿坊が52です。
    (しずか) 慈圓(じえん) さんの講演写真

    1942年 徳島県生れ
    1971年高野山大学大学院博士課程修了
    1974年大阪大学大学院中国哲学専攻研究生修了
    1978年高野山大学チベット仏教文化調査団レー調査隊の隊長として西ヒマラヤの学術調査を行い、種々の曼茶羅を発見
    1982年日本インド学仏教学会賞受賞
    1984年「空海・長安への道」訪中団の団長として福州(赤岸鎮)から西安(青龍寺)までの2400キロを踏破以後も、中国における空海の足跡を調査研究する
    1989年学修灌頂入壇、伝燈大阿闍梨職位を受ける
    現在高野山大学名誉教授、高野山清涼院住職、博士(仏教学)
    主著に 「性霊集一字索引」(東方出版、1991)、
    「空海密教の源流と展開」(大蔵出版、1994)、
    「空海入唐の道」(朱鷺書房、2003)など。
    (レポート後記)
     空海、高野山の歴史の一端に触れ、高野山開創1200年のいい思い出になりました。また、講演の終りには、講師自らが撮影した高野山四季の写真を写して頂き、美しい高野山の風景を楽しみました。特に冬場、軒下から地面まで続く氷柱の写真には高野山の冬の厳しさを教えられました。