平成23年9月10日(2)14時〜16時、4階イベントホールにおいて河内長野市国際交流協会主催、河内長野市・河内長野市教育委員会後援で開催されました。同時に東北物産展が開かれました。
プログラム
1部:
防災エンスショー
講師
サイエンスインストラクター
阿部 清人氏
2部:
パネルディスカッション
「地域在住外国人の声を聞く」
パネリスト
(クリックでプロフィールが見られます)
阿部 清人氏
モヒニ シュレスタ氏
ネリア 鉄本氏
王 宏氏
板東 可奈子氏
3部:
講演「東日本大震災 被災地のいま」
講師
せんだい泉エフエム放送取締役部長
fmいずみアナウンサー
防災士
阿部 清人氏
防災エンスショー
知っておくといざという時に役に立つ知識を、おもしろく、わかりやすく紹介されました。
パネルディスカッション「地域在住外国人の声を聞く」
「常日頃から地域の人と親しくお付きあいする間柄になることが大切で、災害時に在住外国人が困らないためにいろいろな話を聞く」パネルディスカッションでした。その一部をご紹介します。
「ネパールは山国で毎年小さな地震が起こっています。1255年に7.7Mの地震で寺院や家、学校などが沢山壊れて国民の1/3ほどの人が亡くなりました。1939年にカトマンズで地震があり約一万人、1990年にも地震で約千人が亡くなった。ネパールでは地震が起こると地震!地震!と叫び、神様の名前を叫びながら屋外へ避難します。机は丈夫でないので机の下へ逃げない。もし屋内で逃げるとすれば壁際かトイレです。日本では屋外へ避難しないのに驚いた。」
「フィリピンは地震や他の災害が多い国です。地震が起こると机の下へ逃げます。日本は自治会単位で防災訓練があるので素晴らしい。災害時に指定避難所があるので安心です。」
「中国は地震が少ないので地震の感覚があまりありません。地震があった時は他の人が逃げているのを見てはじめて気付いた。その時どうしたらよいのか、何をしたらよいのか全然分かりませんでした。中国では防災訓練はありません。本市の国際交流協会の防災訓練に参加して、災害時にどうしたらよいのかどのように助け合ったらよいのか分かりました。」
「国によって地震の発生頻度に違いがあるので、地震に対する体感の違いがあります。地震時に屋外へ避難するか否かは、国により建築基準法の考え方に違いがあるので避難方法が異なります。日本では昭和58年の建築基準法の改正後、建物の強度が向上したので屋外に避難しなくなり、火災が起きないように火を消してから机などの下へ避難するようになった。」
「今回の東日本大震災の時、仙台市のある避難所は、非常に混雑していたのでコミュニケーションが取れないということで外国人が避難を断られた一方で、留学会館のある地域の避難所は日頃の付き合いで信頼関係があったので避難を受け容れられました。」
「災害弱者にならないためには、日頃から在住外国人と近所の人のお付き合いが大切で、災害時に、通訳することで助け合うことが出来る。」
講演「東日本大震災 被災地のいま」
主に宮城県の被災の現状を多くの写真を交えながら、メディアで報道されなかったことを、被災を経験された視点から講演されました。その一部をご紹介します。
「被災し家を無くした方などの収入がゼロ又は減った方が全体の6割あります。家を高台に建設する計画があるが、国の方針が不明確なため自宅の再建費用の調達に7割の方が頭を抱えています。」
「震災直後は、食べ物や水がなかった。小さな子どもから大人まで一律、1日に紙コップ半分のご飯、バナナ1本ある限り、水はコップ半分(125ml)でした。石巻市は半数の人が被災し、9月9日時点でも50ヶ所の避難所で1500人が毎日食事の配給に並んでいます。7・8月は東北でも最高気温が34・35℃となり、避難所の学校の体育館は網戸もちろんクーラーもない状態で、非常に暑くてつらい思いをしました。また港にあった冷蔵庫の建物が津波で壊れて、保存していた魚が陸へ流されました。この腐敗した異様な臭いと大量に発生した蠅の駆除に非常に悩みました。」
ローカルのFMラジオ放送局が被災しながらも、早く復旧して代替の臨時場所から「命を守る放送」を行いました。fmいずみはNHK仙台放送局と相互協力協定を結んでいたので、NHKラジオで地震発生の夕方から深夜1時まで「共助」の呼びかけにあたりました。等々何度も何度もくり返し放送した」ことなど、fmいずみをはじめとした地方のFMラジオ放送局の活動を紹介されました。
「震災直後だけでなく、余震が起こる度、雨が降る度に小規模の宅地のり面が崩れる土砂災害、地滑りが各地で発生しており、ブルーシートで地面を覆って土地への雨水の浸水を防ぐ作業が今も続いています。」
「インターネットやソーシャルネットワークが普及しているにもかかわらず、チェーンメールが一斉に流れてデマが広がった。電話や携帯、ネットが使えなくなった時は、アナログ的に、人と人が顔を付き合わせて情報を伝えるとか、紙とペンで張り紙して正しく正確に情報を発信してデマを防止することが大切である。情報がないとデマが生まれます。地震直後は停電するのでラジオ、電気が復旧するとテレビ、さらに新聞で整理された情報へと移って行きます。」
「南三陸町の3階建て防災庁舎が津波で鉄骨だけが残り大勢の人が亡くなった。この2階で、“大きな津波がやってくるので急いで高台へ避難を!”マイクでずっと住民に避難を呼び続けて津波で亡くなった」女性職員の悲話が紹介されました。
「南気仙沼小学校は津波で今も校舎が使えない状況であるが、3階の教室の窓ガラスに外側に向けて大きな字で“ありがとう笑顔になれる魔法のことば”が掲げられてます。このことばは、日本をはじめとして世界中から支援を受けた東北のみんなの感謝の気持ちを代弁しています。早く復旧し、いつ日本のどこかで大きな災害が起きるか分からないが、今度は是非とも恩返しできる力をつけたいと思っています。
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