日本で最も古い医学書が、河内長野市にある。
日本医学の発展をさかのぼっていけば、河内長野市につながるのかもしれない。

 高い技術をほこる日本の医学。その進歩は、隋や唐から伝わった医書から始まるが、日本最古の医書に『医心方』(いしんほう)がある。原本【もとの本】はすでになく、写本【もとの本を書き写したもの】は、日本中を探しても、わずか3ヶ所に残るのみである。東京の文化庁、京都の仁和寺、そして、もうひとつは、なんと河内長野市の天野山金剛寺に存在した!

 奈良時代より、遣隋使や遣唐使によって多くの医書が日本に輸入された。そして、これらの輸入医書をもとにして、平安時代には日本でも医書がつくられていった。その中のひとつが、鍼博士【針を使う医師】の丹波康頼(たんばのやすより 912〜995年)が天元5年(982年)に書きしるした『医心方』である。

 丹波康頼は、日本に輸入されていた「病原論」「小品方(しょうひんほう)」「外台秘要方(がいだいひようがた)」「千金方(せんきんぽう)」などといった隋、唐のたくさんの医書をもとに、30巻の『医心方』を書き上げ、永観2年(984年)、当時の円融上皇におさめた。その『医心方』の写本1巻が、昭和60年、天野山金剛寺において発見されたのである。
 
『医心方』は平安時代中期に書かれた医学百科である。原本はすでにない。『医心方』よりも古い『大同類聚方(だいどうるいじゅほう)』『金闌方(きんらんほう)』といった医書もあるが、それらの原本もすでになく、現在に残る両書は後年に作られた「にせもの」とされている。そのため、『医心方』が現在日本に存在する最古の医書と言える。その『医心方』の写本が、これまで文化庁と京都の仁和寺にある2種がしかないものと思われていたが、(いずれも国宝。平安時代後期)、天野山金剛寺で見つかった3種類目の写本は、鎌倉時代中期のもので、保存状態はよくないものの先の2つとは写本の系統【つながり】が異なっており、重要文化財級の貴重な資料であると言われている。
 
 天平時代に行基が建て、南北朝時代には後村上天皇も移り住んだ天野山金剛寺は、仁和寺の末寺【仁和寺とつながりのある寺】でもある。権威ある医学書として用いられていた『医心方』が、朝廷との交流や南北朝の混乱の中で金剛寺に持ち込まれ、古文書の山にうもれたまま、長い年月を眠り続けていたのである。


☆HOMEへ

☆市ホームページトップへ