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1332年(元弘2年)に楠木正成が築いた城とされ、赤坂城の支城のひとつ。
平岩氏が中に入り、元弘の変などを戦ったと言われている。大和の国から河内に侵入する関東軍の様子がよく見えたため、狼煙(のろし)台として使われていたのではないかと考えられている。今でも中世の城塞の跡がしっかり残されており、城跡からの眺めは絶景である。
赤坂城の支城の一つで、楠木正成の赤坂挙兵に応じて、この地の豪族・平岩茂直によって築かれたとされる。1331年(元弘元年)、赤坂城攻撃に向かう関東軍は平石峠を越えて大和国から河内に侵入し、茂直はこの城で北条方を迎え撃ったが、戦死した。
1359年(正平14年)には、足利勢が河内に攻め入った際、正成の三男・楠木正儀は17の城を整備したが、この城も17城として修築され、茂直の子・茂幸が防戦した。
※「楠公さん」ゆかりの地の紹介ページです。文化財に関する詳しい説明は省略していますのでご了承ください。