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大学連携講座―高野山大学編―「弘法大師と高野山」 弘法大師空海の生涯(1)

印刷ページ表示 更新日:2018年1月26日更新
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高野山大学連携講座「弘法大師と高野山」(4回シリーズ)が始まりました!

くろまろ塾運営ボランティア スタッフ2018年02月03日 20時00分  くろまろ塾くろまろ塾運営ボランティア


皆さん、こんにちは!くろまろ塾運営ボランティアの後藤です。
初めてブログ投稿します。よろしくお願いいたします。

櫻木先生

1月26日(金曜日)第一回目「弘法大師空海の生涯I 入唐前の軌跡」の講座が開催されました。雪の舞う寒い日でしたが、大人気の高野山大学連携講座とあって今回も大勢の方が参加されました。講師は、高野山大学文学部密教学科助教 櫻木 潤先生。昨年6月に出家されたそうで、「パンフレットの写真と違いますが、同一人物なのでご心配なく。」とおっしゃって、和やかな雰囲気の中で講義が始まりました。

先生は仏教史がご専門で、高野山大学の先生になられて3年目だそうです。「歴史学者として、空海のことをお大師さんと呼ぶことはしない。」と決意されて高野山に上がられたそうですが、いつの間にか周囲の方たちと同じように親しみを込めて「お大師さん」と呼ぶようになられたそうです。高野山では、「お大師さん」は信仰の対象ではなく、隣におられるお方への親しみの「親仰」ですとおっしゃられたので、お遍路の「同行二人」の「お大師さん」なのかなと自分なりに納得しました。ちなみに私は「お大師さん」のお生まれになった讃岐国の出身です(余分な事ですが・・・)。

さて、弘法大師空海の生涯ですが、遣唐使として唐に渡るまでの軌跡は手がかりが少なく、謎に満ちています。宝亀5年(774)佐伯直田公の子として讃岐国多度郡で誕生。幼名は真魚。この史実も、生年は何年なのか論争があったそうです。年代を確定できたのは、空海自身が40歳(数え年なので実際は39歳)の時に詠じた「中寿感興詩」が最澄自筆書状「久隔帖」により813年11月ごろにつくられた事がわかり、そこから逆算したのだそうです。歴史学者さんは計算も得意なのですね(笑)。なんて冗談はさておき、「歴史学」の手法はあくまで史料に基づいて歴史的真実に迫っていくものと教えていただき、歴史って、こんなに面白いものだったのかと気付かされました。この歳になるまで気付かなかったのが、ちょっと悔しいところですが・・・。

「余、年、志学にして外氏阿二千石文学の舅に就いて伏膺し鑚仰す。二九にして槐市に遊聴す。・・・」
空海自身の著述『三教指帰』序ですが、先生の的確で分かりやすい解説を聞くと自分で読めたような気になりました。よく通る声で熱心に語って下さった櫻木マジックなのでしょうか?
 15歳で、母方のおじ阿刀大足について本格的に勉学を始めたこと(志学=15歳のこと)
 18歳で、大学に入学したこと(二九=18歳のこと、槐=エンジュの木・中国では学問をする所に植えられたので、槐市で大学の意)
 あるお坊さんに出会い虚空蔵聞持の法を授けられたこと・神秘体験を得たこと
 24歳で、出家の宣言書といわれる『三教指帰』を著したこと・・・現在では24歳で執筆したのは『聾瞽指帰』で、唐から帰国後改訂したのが『三教指帰』との説が有力だそうです。

空海の前半生、入唐前の軌跡で明らかなのは、わずかこれだけですが、今回の講義では母方のおじ阿刀大足に焦点を当てることで、桓武天皇ファミリーとのつながりが見えてきました。
人生最初の師、母方のおじ阿刀大足は桓武天皇の皇子伊予親王の文学(教育係)でした。文学というのは親王家に一人しかいない(内親王家にはいない)当代一流の碩学です。この阿刀大足を通して、空海は桓武天皇と有力な皇位継承者伊予親王の人脈に連なっていた可能性が高いそうです。
桓武天皇には皇子が大勢おられて、皇位継承をめぐって韓国ドラマさながらのドロドロした争いがあり、桓武天皇の死後、平城天皇―嵯峨天皇―淳和天皇と天皇が代わるたびに空海も大きな影響を受けました。空海が唐から帰国後3年間も九州に留め置かれたことも、桓武天皇の世ならありえなかったことだそうです。
当時、官僚の子弟は大学に入り学問を修め、天皇に仕えて国を支える官僚になるという道を進むのですが、空海は大学に入ったのち、あるお坊さん(一沙門…「一人の沙門」と読むか「ある沙門」と読むか?解釈が分かれるそうです。)と出会います。虚空蔵聞持の法を授けられ神秘体験を得て、官僚としてではなく仏教によって国の役に立とうと模索することになるのですが、その道は困難を極めていたようです。

今回の講義は、空海が31歳で遣唐使として入唐するまでの前半生でしたが、「史料を読み解く」ことでこれまでほとんど知らなかった空海の人物像が浮かび上がってきました。とても面白かったです。千年以上も昔、名門の生まれのエリート青年が後の世でいつまでも「お大師さん」と敬われる存在にどのようにしてなっていくのでしょうか?唐から帰国してからの後半生を知りたいと思い、次回の講義をわくわくして待っています。

次回は2月6日(火曜日)第2回目「弘法大師空海の生涯2 上は国家の奉為にして、下は諸の修行者のために」です。
今回の講座で配布された資料は、キックス3階の「交流サロン」で読むことが出来ますので、ご参加出来なかった方はご利用ください(コピーサービス有)。

以下に参加者の受講後アンケートでいただいた感想をご紹介します。
 大河ドラマを見るような内容でたいへん面白かったです。次回が楽しみです。
 今までは、伝説的な空海の話を数多く聞いてきましたが、今日の講座では納得できる真実の空海の足跡を知る事が出来、目からウロコでした。
 講師のフレッシュで納得のいく内容に感動しました。特に以前から分からなかった、お大師様のご誕生から入唐までの内容が本当に納得できました。今日は私の人生に光を得た日です。
 空海の実像が少しでもわかって良かった。歯切れの良い話し方で聞きやすかった。

 受付の様子司会
最後に、今回もくろまろ塾運営ボランティアの仲間が司会、受付やアンケート回収に活躍してくれました。
お疲れさまでした!! (^o^)/