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大学連携講座―大阪大谷大学編― 「記紀萬葉の大阪」住吉仲皇子の反乱~淡路・河内・大和~
記紀萬葉の大阪を受講しました!
くろまろ塾運営ボランティア スタッフ2018年11月10日19時 |くろまろ塾くろまろ塾運営ボランティア
くろまろ塾運営ボランティアの村上です。久しぶりのくろまろ塾講座のブログです。
年齢とともに月日の経つのは速くなります。今年ももう11月です。
台風襲来など色々なことがありましたが、みなさまにとって今年はどうだったのでしょう。
私は10月に喜寿を迎え、元気で人にご迷惑を掛けないうちはボランティアを継続したいと考えています。
来年の干支のような猪突猛進ではなく、ゆっくり・・・・・。
今回の取材は大学連携講座大阪大谷大学編の「記紀萬葉の大阪:住吉仲皇子の反乱~淡路・河内・大和~」です。
講師は大阪大谷大学文学部・歴史文化学科専任講師 竹本 晃氏です。
先生は立命館大学文学部を卒業後、暫く間、河内長野市の「滝畑民俗資料館」に勤められました。その後、大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程を修了(文学博士取得)、奈良、京都などの文化館、研究所等にも勤められた後、現在は大阪大谷大学の専任講師をしておられます。
〈講師の竹本先生〉
さて、講座は世界遺産登録申請で一層勇名を馳せています仁徳天皇の没後の皇位継承争いの話しから始まりました。
「記紀萬葉の時代」の頃に起こった抗争ではありますが、そもそもの原因は現代でもありそうなことだと思います。
仁徳天皇の没後、去来穂別天皇(履中)(イザホワケノミコト(リチュウ))は、以前から想っていた羽田八代宿禰(ハタノヤシロノスクネ)の娘「黒媛(クロヒメ)」を妃に迎えたいと異母弟の住吉仲皇子(スミノエノナカツミコ)を使者に派遣しました。
住吉仲皇子は自分が皇太子だと偽って、黒媛と関係を結んでしまいます。そうとは知らず、その後、去来穂別天皇は黒媛の元へ通います。しかし、住吉仲皇子が忘れてきた鈴を見つけ、去来穂別天皇はすべてを知ってしまいます。
そして、去来穂別天皇と住吉仲皇子との争いが始まります。
去来穂別天皇は住吉仲皇子の攻め手から逃れる途中、穴虫峠の手前で出会った乙女に逃げ道を聞きました。乙女は穴虫峠越えでなく、標高も高い竹之内峠を教えました。その結果、去来穂別天皇は難を逃れたという。その後、去来穂別天皇は弟の力を借り、住吉仲皇子を討ち果たしました。
履中はこの乙女との出会いを歌に詠んでいます。その歌は万葉集に残されています。履中は当時、和歌の達人であったという。
『大坂に遇うや嬢子を道問へば 直には告らず 当岐麻路を告る』
(おおさかにあうやおとめをみちとへば ただにはのらず たぎまじをのる)
古代の日本国が固まっていく過程での皇位継承争いの出発点は現代でもありそうなことという気持ちもありますが、同時に日本の史実がこのように日本書紀、古事記、万葉集に残されてきたことに日本人の祖先に感謝したいものです。
上記以外にも皇位継承争いにおける淡路の野島海人との関わりとかも詳しく伺いました。
また、淡路島を取り巻く海流と海運との関係とか阪神大地震における野島断層の話なども興味深いものでした。
残念ながら、紙面の都合でそれらの説明は省略させて頂きます。
竹本先生、有難うございました。暫しの間、古代の日本に誘って頂きました。
本日の講座を聞き、現在人気の出ている古事記とか応仁の乱などの歴史書を読んでみようかと考えた人は私一人ではなかったでしょう。
野島海人像
受付、司会を担当して頂いたボランティアの皆さん、お疲れさまでした。
【くろまろ塾運営ボランティアのご紹介】
昨年、塾生の意見や考えをくろまろ塾運営等の参考にするべく「くろまろ塾運営ボランティア」が募られました。現在、14名の方が登録をされています。
メンバーの方々には本人の希望により、講座時の「受付、司会、広報、記録」等の役割を担って頂いています。また、2ケ月に1度のペースでボランティア・ミーティングを開催しています。ミーティングでは、「事務局の報告」、「メンバーの活動報告」、「今後の講座スケジュール」、「講座時の担当決め」等を和気あいあいと話し合っています。
新しいメンバーの応募をお待ちしています。
希望者はキックス3階の「くろまろ塾」事務局(電話番号 0721-54-0001)まで!!
〈第9回ボランティア ミーティング風景(11月6日開催)〉
以上